普段なに気なく乗車している鉄道路線の端と端。終着駅や始発駅がどんな駅だか興味を持ったことはありませんか。そんなささやかな関心事をレポートする当ブログ「終着駅は始発駅。」今回は東武鉄道東武亀戸線「亀戸駅」を中心に、東武亀戸線の歴史についての紹介です。
東武亀戸線 亀戸駅について

亀戸駅は東京都江東区に位置し、東武亀戸線とJR総武線が乗り入れる乗り換え駅として、多くの乗降客で賑わうターミナルステーションです。東武亀戸線においては亀戸駅が終点駅となっており、反対側の起点駅である曳舟駅(ひきふね)との営業路線距離3.4キロを片道7分、5つの駅で結んでいます。

いまでは都心のローカル線などと呼ばれていますが、開業当時は東武鉄道にとって大変重要な駅でした。また学業の神様、亀戸天神のお膝元として有名な亀戸駅。その昔、亀ヶ井という井戸があったことから「亀戸」といわれるようになり、駅名にも命名されたそうです。
お隣の亀戸水神駅は亀戸水神の最寄り駅で、亀戸天神の最寄り駅は亀戸駅です。お気を付けください。

東武亀戸線亀戸駅の開業は1904年(明治37年)。開業のほんの数日前には総武鉄道(現在のJR総武線)の駅が開業されておりましたので、開業当時から亀戸駅は東武亀戸線とJR総武線が乗り入れる乗り換え駅の役割を果たしておりました。さらに東武亀戸線は列車丸ごと総武鉄道に乗り入れるという、いまでは考えられない路線経路で運行されていたようです。

そんな2つの路線が乗り入れるターミナル駅としての亀戸駅。何やら興味深い歴史がありそうです。また東京のローカル路線として普段から、東武亀戸線の存在が気になっている方もいらっしゃるのではないでしょうか。そんな気になっている方に代わって東武亀戸線の亀戸駅を中心に、歴史背景なども交えレポートをして参ります。
東武亀戸線 亀戸駅ホーム

東武亀戸線亀戸駅の改札口は一ヶ所のみ。駅ビルの奥へ奥へと進むと改札が現れます。それでは改札を抜け東武亀戸線亀戸駅のホームへと向かいます。

島式ホーム1面2線。1番線と2番線で構成されております。基本的に使用されているのは1番線ホーム。すべて曳舟行となっております。

東武亀戸線の時刻表は早朝、深夜を除いては10分間隔で運行されており、朝のラッシュ時にいたっては1時間に9本が運行されるなど、とてもローカル線と呼ばれるような路線ではないと思います。

1番ホームには昭和30年代のカラーリングを復刻させた、リバイバルカラーの東武8000系2両編成が停車中。東京都内では東武亀戸線か東武大師線くらいでしか見ることができません。

東武亀戸線は2両編成と短く、ワンマン運転の列車です。駅に到着すると反対方向の運転席まで歩いて移動して、また運転となります。
そんなリバイバルカラーの東武8000系が走る動画を撮影いたしましたので、よかったらご覧ください。

駅名標は片側の次駅表示のみの終着駅仕様。

東武亀戸線の行き止まり標識も設置されております。いまでは正真正銘の終着駅ですが、亀戸駅開業御当時は終着駅では無く東武亀戸線にはまだ続きが存在していました。

その続きはここから見えるJR総武線が重要なポイントとなります。
目指したのは、総武鉄道 両国橋駅

東武亀戸線開業以前の東武鉄道は、北千住駅と久喜駅間を結ぶ営業路線でした。さらに都心を目指した東武鉄道は吾妻橋駅(現在のとうきょうスカイツリー駅)まで延伸はしましたが、ターミナル駅としての利便性に欠けるため、1904年(明治37年)に曳舟駅から分岐して亀戸駅を目指す東武亀戸線を開業させました。これにより東武亀戸線は東武鉄道の本線という扱いに変わっていきます。

亀戸駅から先は、千葉県へと路線を伸ばしていた総武鉄道(現在のJR総武線)に乗り入れ、総武鉄道のターミナル駅・両国橋駅(現在の両国駅)まで運行されることに。これにより、東武鉄道のターミナル駅も両国橋駅となりました。一部の区間を総武鉄道に乗り入れたとはいえ、吾妻橋駅よりも利便性に優れる両国橋駅をターミナル駅にしたことは、東武鉄道、東武本線にとって大きな飛躍だったのではないでしょうか。

東武本線のターミナル駅が両国駅とは、現在だとにわかに信じ難い話ですが、開業当時の時刻表には越ケ谷行や北千住行の列車が案内されております。

都心のローカル線などと呼ばれておりますが、曳舟駅と亀戸駅を結ぶ区間は単線などではなく、いまでも複線であることが東武本線であったことを物語っているわけですね。

亀戸駅の駅ビルの屋上からは、東武亀戸線と総武鉄道だったJR総武線の位置関係がよく分かります。東武亀戸線が乗り入れたくなる気持ちが分かりますね。さらにJR貨物の越中島線も見ることができますが、東武鉄道はこちらの路線も都心への延伸先として狙っていた思惑があったようです。東武鉄道の野望ですね。
JR総武線 亀戸駅

東武亀戸線が乗入れていたJR総武線側(当時は総武鉄道)のJR亀戸駅へ行ってみましょう。

JR総武線は1番線と2番線。上り1番線の行き先は秋葉原、新宿、中野と表示されていますが、開業当時は両国止まりだったそうですから、いまは便利な路線です。

JR亀戸駅ホームに到着。各駅停車のみで快速列車などは停車いたしません。

ホームからはJR貨物の越中島線が直ぐ近くに見えます。

反対側には少し分かりづらいですが、一段下がったところに東武亀戸線の亀戸駅が見えます。
ではこのまま列車に乗って、開業当時に総武鉄道と東武鉄道のターミナルステーションとなっていた両国駅を訪ねてみましょう。
ターミナルステーション 両国橋駅

亀戸駅を離れ、かつてのターミナルステーション両国駅(当時は両国橋駅)へ到着。

現在もレトロ感残る両国駅外装ですが、こちらの駅舎は二代目のようです。

写真は二代目駅舎の新築当時の写真。確かに今の両国駅と同じ外装です。初代両国橋駅舎は1923年(大正12年)の関東大震災により焼失してしまったそうです。

両国駅には現在でも行き止まり標識が残っていました。開業当時の総武鉄道はまだ隅田川を越えることはできませんでしたので、列車としては両国橋駅止まりでしたが、路面電車に乗り換えれば都心直結でしたので、とても賑わいのある駅だったようです。東京のターミナルステーションとして位置付けた東武鉄道の狙いは大成功だったのではないでしょうか。

ところが順風満帆だった東武鉄道に悲劇が襲います。1906年(明治39年)に公布された鉄道国有法により、国有化された総武鉄道には東武鉄道の乗り入れができなくなってしまい、1910年(明治43年)東武鉄道の両国橋駅ターミナル時代は終焉を迎えることになりました。
東武亀戸線 その後

両国橋駅(いまの両国駅)まで行けなくなってしまった東武亀戸線は、亀戸駅を終点とした旅客輸送を余儀なくされ、もはや東武本線ではなく曳舟駅と亀戸駅を結ぶ支線として運行を続けることになります。

そして東武亀戸線が東武本線ではなく支線となったと同時に、両国橋駅以前のターミナル駅だった吾妻橋駅(現在の、とうきょうスカイツリー駅)を再びターミナル駅として再開し、その後東武本線として浅草駅まで繋がっていきます。

東武本線から支線へ。僅か6年間の出来事ですが、この営業路線距離3.4キロの短い東武亀戸線には、そんな過去が刻まれていたとは驚きです。

両国橋駅だったホームも現在はイベントスペースとして活用されている両国駅。その奥に見えるのは東京スカイツリー。こう見ると、かつて東武本線のターミナル駅が吾妻橋駅(現在の、とうきょうスカイツリー駅)との間で揺れ動いていた時代の位置関係がよく分かりますね。両国駅ホームからの何気ないこの風景も、時代背景を知ると途端に感慨深い景色になるから不思議です。
駅前周辺

東武亀戸線、JR総武線ともに改札は駅ビルの中に入っております。

国道14号線の千葉街道と蔵前橋通りに挟まれた位置にあるため交通量は多くさすが東京です。

日曜、祝日は歩行者天国になるため、亀戸天神へ行かれる方には助かります。
亀戸天神社

亀戸駅といえば亀戸天神社かと思います。菅原道真公を祀り学問の神として知られる亀戸天神は亀戸駅から徒歩で約15分。思っていたよりは遠く感じました。

祝日だったということもあり多くの参拝客で賑わい、境内を進むのが困難なほどでした。緑と池が美しくとても良い神社でした。
駅前食べ歩き

今回は駅前ではありませんが、亀戸天神近くに店を構える元祖くず餅屋の船橋屋さんのあんみつをいただきました。

亀戸天神目の前に臨時販売所があるので、境内の中でいただくことに。落ち着いて食べたい方は亀戸天神前本店へ行かれるのがよいかと思います。

あんこを食べると、甘さ控えめで美味しい。という声を聴きますが、それはそれで好みなので良いですが、この船橋屋さんのあんみつに入っているあんこは「甘くて美味しい」です。歩き疲れていた体に糖分が行き渡り、やはりあんこはこれくらい甘くないといけないと感じました。ごちそうさま。
以上、東武鉄道東武亀戸線、亀戸駅を中心としたレポートでした。今後は東武亀戸線に乗車した時や亀戸行の列車、発車案内板を見かけたら、当ブログでみた亀戸駅を思い浮かべてくれたら嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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