東武鉄道「太田駅」:東武伊勢崎線、東武小泉線、東武桐生線 「駅名標にも記されている有名企業のロゴ。その時代背景と関係性に迫る。」

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 普段なに気なく乗車している鉄道路線の端と端。終着駅や始発駅がどんな駅なのか気になったことはありませんか。そんなささやかな関心事をレポートする当ブログ「終着駅は始発駅。」今回は東武鉄道「太田駅」の紹介です。

 「つる舞う形の群馬県」の南東部、つるの首根っこあたりに位置する太田市のやや中央部に東武桐生線の起点駅である太田駅はあります。東武桐生線とは、みどり市にある終着駅の赤城駅とを結ぶ路線です。現地に着いて驚いたのですが、太田駅とは東武桐生線の他に東武伊勢崎線、東武小泉線も乗り入れるとても大きなターミナル駅でした。

 駅が開業した1909年(明治42年)当時は東武伊勢崎線のみが運行されていたという駅だったようですが、なぜこんなにたくさんの路線が乗り入れるのかはちょっと不思議な駅です。きっと何か理由があるんでしょうね。

 群馬県内における東武線の乗り換え駅としては東武伊勢崎線、東武小泉線、東武佐野線、と同じく3路線が乗り入れる館林駅が有名ですが、ここ太田駅も3路線が乗り入れている凄い駅です。東武桐生線は起点駅、東武小泉線は終着駅、そして東武鉄道の主要幹線である東武伊勢崎線にいたっては特急列車の停車駅でもあり、東京の北千住駅から特急リバティりょうもう号に乗車すれば約80分で到着。しかも赤城行でも伊勢崎行でも太田駅には停車するので、1日に20本以上も特急列車が到着するという優れた利便性を誇っております。(2023年3月ダイヤ改正時点)

 北千住駅から太田駅へお越しの際は、下記の時刻表を参照ください。

 そんな謎多き太田駅は、起点駅でもあり終点駅でもありますので「終着駅は始発駅。」の対象駅です。群馬県内における巨大なターミナルステーションとは、いったいどんな駅なのか。そんな路線図を見ては気になっている方の代わりに東武鉄道の太田駅をレポートして参ります。



太田駅 1・2番線ホーム

 太田駅の1、2番線は東武伊勢崎線、館林や浅草などへの東京方面上りホームで、浅草行の特急リバティりょうもう号などもこのホームに到着します。

 駅名標は伊勢崎線カラーの赤色ベースにグレーラインなので、東武伊勢崎線属性です。三枚橋駅方面からも入ってくるようなので、東武桐生線からの赤城駅発列車もこちらのホームに入るんでしょうね。

 何気なく駅名標を見ていましたが、違和感を覚えませんか?よく見てみてください、なんと太田駅の駅名標には、レガシィやレヴォーグで有名なあの自動車製造メーカー「SUBARU」のロゴが掲出されているじゃありませんか!その昔レオーネ4WDに乗っていた私としては違和感が親近感に変わりましたが「株式会社SUBARU前」と書かれていますから、太田駅前周辺にはSUBARUの建物があるのでしょう。

 東京メトロ銀座線「三越前駅」のようなデパートの名前が駅名だったり、東武線でもたまに見かける「獨協大学前駅」や「板倉東洋大前駅」のような大学名が入った駅とも違い、さりげなく企業ロゴだけが入っている駅名標は初めて見ました。どうしたらロゴを入れられるんでしょうかね。東京メトロ銀座線三越前駅の場合は、三越側が建設費用を負担したとかしてないかみたいな話がありますが、SUBARUが建設費を負担しているとは考えにくいですよね・・・。ただ、いずれにせよSUBARUのロゴ入り駅名標はカッコいいです!



太田駅 3・4番線ホーム

 3、4番線ホームには伊勢崎行や赤城行の特急や、東武伊勢崎線の上りや下りが忙しく到着するホームです。

東武800型 東武伊勢崎線「館林行」

 滞在中も館林行や伊勢崎行の3両固定東武800型や850型が何本も行き来していました。

東武850型 東武伊勢崎線「伊勢崎行」

 北関東を訪れると見かける列車だけに非日常を感じ得ませんが、伊勢崎行など普段目にしない行先案内もまた非日常的な気持ちになります。



太田駅 5・6番線ホーム

 5番線ホームは東武小泉線。6番線ホームは東武桐生線と書かれているので、当然別路線ではありますが、実は運行されているほとんどの列車は東小泉駅と赤城駅を往復している路線なので、太田駅が東武桐生線の起点であり東武小泉線の終点であるというのは、いまでは形だけのものといえます。

 ですが、東武小泉線の東小泉駅と太田駅が接続しているということはとても重要です。現在では世界的に有名な自動車製造メーカーのSUBARUですが、設立当初は航空機のエンジンを製造している軍用機メーカーの中島飛行機という会社でした。さらなる生産能力の向上が求められる太平洋戦争前にあって太田駅-東小泉駅間が開通し、さらにその先にある開業したばかりの西小泉駅の中島飛行機工場へと部品などを輸送していたそうです。

 ちなみに西小泉駅の開業日は1941年(昭和16年)の12月1日ということなので、なんと真珠湾攻撃の6日前のこと。太平洋戦争直前に太田駅周辺は既に動き始めていたんですね。

 では東武桐生線の終点赤城駅はというと、いまでは赤城山への登山客はあまり見られませんが、駅から少し歩けばわたらせ渓谷鐵道の大間々駅へも行ける駅として利用されております。乗り入れている上毛電鉄に乗り継げば、前橋方面へ行くことが出来ます。



太田駅南口

 外観はとても立派。すべてのホームが高架化されているので駅周辺には踏切も無く車にやさしい街ですね。

 まずは南口。どうですこの綺麗に整備された立派なロータリー。そしてそびえ立つビジネスホテル!周辺には工場が多く、群馬県のビジネス的拠点駅なんでしょう。

 そして館林、桐生など真夏になると全国の最高気温を記録する北関東。太田駅も例外では無さそうですが、なんとこの駅前にはミストシャワーがやさしく降り注いでおりました。(ありがとう太田駅!でも暑かった!)

 反対の北口へは広々とした自由通路が突き抜けており、通路中央付近には太田市のゆるキャラでしょうか、「おおたん」像が待ち合わせ場所の目印として鎮座しておりました。

 



太田駅北口

 北口へ抜けると、

 まず目に飛び込んでくるのはSUBARUの群馬製作所の本工場。太田市や太田駅の歴史を語る上で、SUBARU(旧中島飛行機)はとても関係が深かったんですね。なぜ太田駅の駅名標にSUBARUのロゴが掲出されているのかが次第に見えてきました。

出典:株式会社SUBARU 公式サイト(https://www.subaru.co.jp

 さらに調べてみると、このSUBARU群馬製作所本工場が建っている住所は「群馬県太田市スバル町」というんですよ。「スバル町」ですよ! もう地域密着という言葉では足りないくらい、SUBARUは太田市の街の一部だったということですね。地元との結び付きが凄すぎるので、もう三越前駅のように駅名はスバル前駅でもよいかと思います。

 そしてどなたかの像も北口駅前で存在感を放っておりますが、上毛かるた「歴史に名高い新田義貞(にったよしさだ)」でお馴染みの、上野国出身で鎌倉幕府を攻め滅ぼしたという新田義貞の像です。

 SUBARU群馬製作所本工場のビルと一緒に収まる新田義貞像。どちらも存在感があり太田駅を表している一枚になりました。

 北口にある太田市の美術館・図書館は外観も館内もとてもおしゃれな造りでした。一見の価値ありです。

 太田駅が急拡大した背景には、SUBARU(旧中島飛行機)の存在と軍需工場への輸送を目的とした鉄道の整備が関係していたんですね。つまり戦争が関係していたと…。どうして3路線も乗り入れるターミナル駅になったのか分かる気がしました。

 以上、東武伊勢崎線、東武小泉線、東武桐生線、太田駅のレポートでした。今後は太田行の行先表示や路線図で見掛けたら、当ブログで見た太田駅を思い浮かべてくれたら嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

反対側の終着駅(始発駅)

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